医療・介護の鍵diary

健育社代表がガツガツほのぼの医療介護を語るページ

以外にも厄介な「Prevelence」(発症率・発症頻度)

疾患や医薬品に関するライティングで以外に面倒なことの一つが

 

「疾患の発症頻度や割合」

 

です。

 

ググって出てくるサイトを見ると、結構簡単に

 

A(という病気)は、Bという集団の中では約C%です。

 

という言葉に出くわします。

 

でも、これほんと?

どんな母集団でどんな疫学調査を行なった結果を引用しているのだろう?

 

というモヤモヤの中、調べ始めると

「母集団」の記述が出ていなくて誤解を招くことがあったり

「母集団」を書かないと全く意図と異なる印象、数字の操作に近いものになってしまったり(以外に多い、以外に少ないという感覚操作)になってしまったり。

 

結構この部分の原著戻りは慎重に行わないと大きな誤解が生まれます。

そして、実はこの数字は、

「Aという書籍に書いてあるから大丈夫だろう」

などと進めていくと

もうすでに孫引きだったりと数字の独り歩きが起きていたりします。

 

ということで、黙々と調べを続ける春の休日でした。

 

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八幡平固有のにんにく。今朝の投稿でこのにんにくたちがいよいよ芽吹いたとのオーナー様の投稿に思わずこちらも投稿

 

幸福の日 日本は58位 ホントのところは自分の心にある?

worldhappiness.report

 

3月20日は幸福の日

私としては、幸福に包まれたり、その裏側の悲しい状態を見たりして過ごしました。

レポートをまとめた記事はこちら。

www.huffingtonpost.jp

 

最近、1日の終わりには

「今日は力を出し尽くした」

と自分への満足賞賛をしてから寝ています。

 

日本は昨年より4位下がって58位だそうです。

 

幸福には

「やってみよう」

「なんとかなる」

「ありがとう」

「ありのままに」 

という4因子があると日本における幸福学の牽引者である前野隆司先生(慶應大学SDM)がお話しされています。

 

実は私はこの4つを回しながら健育社を続けてきたような気がします。

が、さらに要素を因子分析すると決定的に不足している場所があります(笑)。

これを補強する方向へ進んで参ります。

 

なお、こんなレポートがありますので貼り付けます。

比較しているのですから、尺度についての検討がなされているわけですが・・・。

読み応えあります。

「 2013 年主観的幸福の測定に関するガイドラインOECD, 2013)」

から、ワークショップ、そして

「人生満足度」の質問が推奨されているということだそうです。

GDP な どでは把握できない国民の置かれた状況を把握し、公共政策の立案に活かす

ことができるということですが・・・。

 

満足度

というのは本人の究極の主観的要素ですよね。

 かなり深い分析をしています。

 

https://core.ac.uk/download/pdf/159504350.pdf

 

また、この順位や尺度の解釈は

「理想の幸福」との差を考えてみたときの順位はどうなるか、

という、文化差や価値観の差を調整しているかどうかという見方をすると、

順位だけでは見えないものを考える必要もあるとのことです。

 

尺度調整も人それぞれということは

 

自分が満足でいているかという最強の尺度 これ、実は健康の定義です。

(身体的にも、精神的にも、社会的にも満たされた状態)

 

ということでしょうか。意思決定の原点の考え方ですね・・・。

こちらは2年前(もうそんなに経ったのね!)のハウステンボスにて

 

さて、今日は精神的満足を満たす?買い物にでも行きましょうか!

エンディングノートに自分史や思い出を書くのですか?

「医療に効くエンディングノート」では、こんな図をいつも利用しています。

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尾上正幸様より利用許可をいただき使用しています

こちらは、2010年にエンディングノートを日本に初出版なさった方、とされる、

株)東京葬祭 尾上正幸様がご利用になる図を使用させていただいています。

 

エンディングノートを知る人は「そうだね」と思いますが、

ある方から表題のテーマとなる素朴な疑問が投げかけられました。

 

「なぜエンディングノートに自分史が必要なのですか?」

 

私の回答は次の通り。

 

「End of Life・人生最終段階に自分が満足いくための道具」

になるからです。

書く本人からの視点は後日談として。

 

受けとる関係周囲の側では、

自分史で得る情報をこんな場所で用いています。

 

1)お葬式の時のナレーション

セレモニーホールなどの葬儀に参列すると、司会の方が式を運営されます。式次第を順序立ててお話してくださいますよね。

その中に、弔電の紹介などの時間があります。そして、この時、

故人の生い立ち

故人の思い出

を語られることがあります。

 

この時、故人はどこでお生まれになり、どのような子供時代を過ごされ、どんな学校生活から成人となり、社会人としてどう過ごされたか、ということを話します。

何をこよなく愛し、どんな楽しみの中で過ごされたか。晩年はどうだったのか。諸々。

 

この時、のストーリーは、まさに自分史や思い出です。

 

尾上様曰く、ご子息が喪主の時に故人の思い出や生い立ちを伺うと

「幼少時代の情報が少ない」

とのことでした。

 

私自身も子供たちに自分の幼少時代をあえて話す機会は少ないことは感覚的にわかります。

 

「君たちの年齢の頃にはね、私はこうだった、ああだった」

 

…よくある説教・物申すしつらえの発言はしていたような(反省)。

 

中学、高校、大学くらいでの出来事はいうけれど、幼少期のことをあえて言いませんし、それを受け手が幼少の時期に、

「ママもおままごと大好きだったんだ」

と言ったところで覚えているとは思えません。

(子供って、幼少期自分が旅行したことさえも覚えてないことだらけですからね!)

となると

どんな幼少期を過ごしたかなどというのは、こうした書き物で初めて明らかになります。

そして、法事で会う親族から、初めての話題が次々出てくることもありますね。

 

へー。知らなかった。

 

親でありながら結構周りから言われて知ること、多くないですか?

 

2)法名/戒名をつける時

お坊さんと法名・戒名を決める時に、故人はどんな人であったかをお伝えし、その人を象徴する漢字が使われていきます。

この時のお話により、お坊さんが戒名をつけてくださるのです。

 

最近では自分の戒名も「いくらくらい」で「この文字を入れて欲しい」などと決めて旅立たれる方もいらっしゃいます。

この時、お話をしなければならないのは喪主様。

こんな時にも自分史・思い出が文字に記されていると役立ちます。

 

3)End of Life ケア 医療やケアで

実は、医療やケア、それも、人生の最終段階にさしかかってきた、

身体機能がゆっくりと落ちて、日常生活に支援が必要になってきた

この時期に重要なことだったりします。

 

それは、医療従事者・ケアする人たちと初対面するからです。

 

医療・ケアの基本は、その人に寄り添い、その人の価値観を知り、

その人にとっての最善最良を目指します。

特に人生の最終段階において、その価値は高まります。

 

その人がどんな暮らしをして、どんな価値をもち

どんなことに興味があって、どんな音楽が好きで

 

を理解していること

 

実はとても重要です。これも自分史そのものですよね。

 

残念ながら、診療・ケアに当たる医療従事者の方たちは、それをゆっくり聞いている時間をあまり持てない現状があります。

(もちろん、それを大切にされている先生たちも多々いますが)

 

もし、それが、一見できるなら、それはありがたいですよね。

いわゆるプロフィールの積み重ねみたいなものでも十分なのですが、

欲しいところ。

 

そんな理由が挙げられます。

 

お彼岸。

春の新しいスタートに、ご先祖様へご挨拶もいい日和ですね。

 

TOBIRAカードはそんな自分史、物語をテーマごとに引き出すために作られました。

tobira.shop

 

昨日の講座では、心理カウンセラーの方がご購入くださいました。

ありがとうございます。

 

 

 

人生会議で話し合った後に一番辛い人は「代理人」

「人生会議」

にて、人生の最終段階の医療やケアについてお話をしよう

という推奨が日本でも始まろうとしています。

 

将来の医療に対する価値観、目標、ありたい姿を話し、周りの人医療者、ケアする人たちなどチームで情報を共有することで個人と患者を支援するプロセスです。

 

そして、その望みに沿って治療やケアが行われますが、

その「命の終わり」が近いときにその望みを受け止め、医療やケアを確実にすることは、代理人の人が一番辛いのです。

 

何故なら責任が重い。

 

委ねられた親族や友人にとっては、医療の知識も難しかったり、その回答が命に関わるとあればそれに対する返答はとても重たいものですよね。

 

気軽に「何かあったらよろしくね」と言われたけれど

 

先日、セミナーに参加された方で、お一人様同士の「友人」に上記のようなことを言われた方がお見えになりました。

セミナーを受講されて

ご自身がどんなことを医療従事者と確認したりケアについても話しあいに応じなければならないのか、

ということを目の当たりにしました。

 

そして、

「うーん。これは軽はずみに受けることは厳しいですね」

とおっしゃいました。

 

親しきものであるほどにその話あいをどうしていくか、ということが大切ですよね。

あるいは、成年後見を行なっているNPOなどに相談し、契約を行うことなどが

良い方法かと思います。

例えば、私が尊敬する方がメンバーであり、千葉を中心に活動するNPO法人

成年後見 なのはな

kouken-nanohana.or.jp

など。

 

住み慣れた町で暮らし続ける

ために、できる方法を探していくこと

は、結構大切だなと思います。

 

 

ものづくりはゴールが大事、製薬企業の市場分析力の高さ

日本はものづくりが得意だ。

 

と言いますが、その通りだと思います。

最近、医療周辺ではありますが、医療用医薬品や情報提供フィールドとは異なる新規開拓案件、「製品」や「アプリ」の販売先に関する相談を伺う機会が出てきています。

 

そんな中で、今まで医療用医薬品のフィールドで当たり前と感じていたことが、凄いことなのだと気づかされました。

 

開発前の市場分析・市場予測・販売戦略

が、医療用医薬品産業では「緻密」ということです。

 

「比較対象が違うだろう」

と思うかもしれませんが、私個人の感覚での発言なのでご勘弁ください。

 

製品の開発や導入に当たっては、市場性を分析し、開発コストとのバランスを世界で見渡した上で臨床試験に進むわけですが、開発期間とコストが莫大ゆえに分析への投資が必要だったことは明白です。

 

医薬品がいよいよ発売になる時に纒う「ビジュアル」や「プロダクトカラー」、「ロゴ」も調査は当然。

 

今相談を受けるのは

「こんなことができる」

「できているもの」を

「どこかで売れないか」という話。

 

類似品も多々ある中で、作ってはみたものの、一体だれがどんなふうに役立て、その結果何のメリットがあるのか

ということを考える前に、「もの」が出来上がっています。

 

凄いです。

 

環境変わればやり方異なる。

 

2週に一度、工学系のパイオニアの方達のお話を伺って感じたことですが、

工学系の機械を作り上げる時に、ローカルな最適化がほぼ完全なくらい

見事なのに、実証・検証した時、その先にもたらされるもの は

ものづくりの時にはあまり考えない

(というより思考に入らない) 

ようです。

 

製薬企業の開発導入、マーケティング、市場調査プロセスはハイレベルな仕組みなんだと感じて、それをよりコスト安でできないかなと思い模索しています。

 

桂浜。心洗われる時間でした(2年前なり)

ゲノム医療 いよいよ本格化!

2019年。いよいよがんの「ゲノム医療」が本格化しますね。

 

ずっと解説文章を書きためていたのですが

全く自分の収益に影響しないボランティアになってしまうため

最大の簡略化として、「わかりやすい」解説本をまずは添付します。

www.asahi.com

 こちらダウンロードしてみると、とてもわかりやすい解説が並んでいますので、

ぜひご覧ください。「寄付講座」ですが、要するに新しい技術を理解していただき、その先の医療の利益を享受していただきたことが趣旨です。

しかし、実は、ゲノムについては「検査」したからとしても

 

●リスクのみ知らされる可能性

●治療も手立てもない事実を知らされ差別偏見につながる可能性

 

などの倫理的な問題が孕んでいます。

ここを適切に使いこなすことが重要です。

まずは読んでみてください。

 

がんゲノム医療は、先んじて医薬品抗がん剤の治療において一部の遺伝子の有無で治療効果に差があることがわかってきたため、標的となる遺伝子の有無を検査することは行われていました。

 

しかし、この先は

1)「遺伝子」がほぼ全て網羅解析され、

2)その情報は適切な場所で管理され、

3)必要な情報が抽出され、活用される

4)その情報は定期的に検査により繰り返され(だろう)、

5)予防的・治療的な方針を決めていく(特に遺伝的素因の強い疾患)

ことになります。

これはいわゆるオーダーメイド(個別化治療)の道です。

ganjoho.jp

 

 

 この先の医療は広く見渡される感じ(イメージ)

親子でちゃんとして逝った 建物への思い

ある方のお父様がお亡くなりになったご様子を伺いました。

お父様、娘様、そして周りの方の協力にしてご本人が望む「自宅で」逝くことができたということだったと感じます。

まず、娘様の行動は次の通りでした。

 

1)弊社主催のセミナーに参加し情報を収集(ここだけPRです)

ここでは法的な面、成年後見などの学びと、医療側でのアドバンス・ケア・プランニングに関することをインプットされました。

医療側での講座はこちら 3月19日(火)に開催です。

医療・介護に活きるエンディングノート2019~「人生会議」について考える

 

2)介護・ケアについて学ぶ

両親のケアをすることが明白だったので、彼女は介護・ケアの学校へ通学し、ケアについて学びました。

現在は、5万円ほどで介護職員初任者のための研修があります。高いととるか安いととるか、娘さんはご両親2名をこの先介護するなら

・人に頼むよりは安い

あるいは、

・ご自身がやったほうが自分自身も満足がいく

と捉えたのでしょう。もちろん、依頼先を探すということも一つの選択肢ですが、

「自宅で逝きたい」「自宅で看取る」を実践するとき、学ぶことはマイナスになりません。プラスのことばかりです。

 

(参考)こちらは川崎駅近くにある介護職資格の取得できる学校です。

QOL アカデミー – 人生の質を高める! 介護学校【QOLアカデミー】

ここまで専門的でなくても、と思う方は、地域により、

「家族のための」講座がないか地域包括ケアセンターなどで相談してもいいでしょう。

 

3)ご両親と話し合い、自分たち夫婦が同居すべきかどうかの検討

近隣にお住まいだったため、ご実家へ要請に応じるていましたが、その回数が次第に増え暮らすご様子をみて、そろそろなんらか考えた方がいいな、と思ったのでしょう。

 

ご両親と「この先どうするか」

を考え、話し合う時間を持ったようです。

そして、ご実家にしばらく暮らすことに決めました。

ちょうど旦那様が退職から新たなチャレンジをする時期だったので、旦那様も一時的、まあ数年だと見立てて同意なさったのだと思います。

 

お父様の確たる終い方があった

お父様の方も、実はご用意をなさっていました。

遺言です。

お父様は建築関連のお仕事をなさっていました。

お住まいはご自身が設計・建築に携わったのです。

そうなると、ご自宅は「自分の分身」のようなものですよね。

丹精込めた土地・住宅のことで残された親族でもめてしまってはならぬ、

と思われたのでしょうか。

 

自ら建築したご自宅の土地の区画線について再度調べて、近隣の方と揉め事が起こらないように整理をしました。

そして遺言にもしっかり分与まで記されているはずです。

さらに、

葬儀は家族葬で、どこでどのように、ということまで書かれていたそうです。

ご自宅で亡くなりたい

糖尿病を患っていましたが、無理な食事制限もせずにいわゆるバランス良い食事を取りながら毎日をお過ごしでした。

その日も、決して体調が悪いというわけでもなく、娘様の作った夕食を普通に美味しくご家族で召し上がり、就寝なさったのでした。

 

下越しに聞こえた「不可思議ないびき」

を聞いた娘婿さん。

様子を見に行くと、確かに呼吸がおかしい、ということでした。

 

在宅医療を受けている主治医への連絡

ここで、気が動転することもなく、月に2回訪問してくださっていた在宅医の先生へ

電話連絡。先生が駆けつけたタイミングで息を引き取られたとのことです。

 

口数の少ない、「凛」とした故人様だったとのこと。

ご自宅への思い、ご家族への思いを全て感謝で終えたような看取りだったようです。

娘様は、

「学んだとはいえ、父親で初めて看取りを経験できたこと」

「落ち着いて対応ができた」

とおっしゃられました。

しっかりなさっている方ですので、その言葉には納得させられることもありました。

裏側では、沢山涙を流されたことでしょう。

 

ご冥福をお祈りするとともに、

ご家族ご親族のこれからを静かに見守ってくださるのだろうと

思いました。

 

親子でちゃんと良い支度をすると、素敵な逝き方ができるのだろうな、

と思ったのでした。

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凛として幻想的な竹林