医療・介護の鍵diary

健育社代表がガツガツほのぼの医療介護を語るページ

悲しい存在感

発売前の担当獲得のためのコンペに際し、様々な情報提供と支援を行った広告代理店様のご担当より久しぶりにお電話を頂戴した。

 

この医薬品はもう発売され、一連の資材展開はすでに終わり一段落している。コンペで勝ったとの連絡もなければ、その後の資材作成の支援協力についても連絡がなかったので、まあ人が十分に足りているのだろうと思っていたし、

連絡がないというのは私の労が不要であるということだと認識していた。

 

 

私のような仕事は、

 

忙しいから助けて!

 

という時はニコニコ関係性を作ってくださるが、

多忙期を超えると何もなかったかのように連絡も来ない、

ということが当たり前の

「ちょっと悲しい」

関係性しか感じられない世界である。

 

自分の存在ってこんなもんだ、と思わざるを得ない日々を平然と送るのですから、なんて精神的に強くなったのだろう。

 

私の関わる薬は、必ずその治療領域において自分を活かすことができるのかという視点にたち引き受ける。

また、その医薬品が個性的で患者さんに望まれていることが多いので良い薬に巡り会えたという感謝の気持ちしかない。その中で仕事をする。

 

(でないとやってられないのである)

 

今回の電話は一連の仕事が終わってしまったというのに、お礼も仕事がないという連絡さえもしなかったから申し訳なかった、というお詫びだけだった。

 

(仕事があるのかとおもったのですが残念ね)

 

。。。そのご担当自身が気づいたのではないだろう。

おそらく、ある人から言われたんじゃないかな。

あるいは受け先で私を知る人が私の名前を言ったか、

年賀状リストで見つけて思い出したとか、そんなところかな。

 

それに対してしっかりとお詫びの電話をくださるなんて、ある意味でありがたいことです。

 

存在の薄い人という生き方は、結構強い心臓が必要なわけですね。

 

ゴミのように不要にされたとしても、

手を加えた製品が、今患者さんのところで役に立っている、

笑顔を与えられているのであればいいのかな、

 

と、自己満足ですが感じます。

とても寂しい存在ですね。

 

この先、医療用医薬品の広告資材のあり方も大きくかわってくることでしょう。

医薬品の情報提供方法も変わってくることでしょう。

MRもどんどん減っていくことでしょう。

 

すると、どのように情報を伝えていくのか、

医療機関の広告もしかり。

 

あまりにも突然でしたが、電話という連絡方法でお詫びをくださった方に、

そしてその方に恐らく「連絡してないのか」

とぐさっと話をなさった方に。

 

御礼申し上げます。

そして

 

医薬品広告代理店の方、いま仕事は充実していますか?

満足していますか。

 

そのまた上のクライアントにも。

 

2018年師走の午後の出来事でした。

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京都201の