医療・介護の鍵diary

健育社代表がガツガツほのぼの医療介護を語るページ

医療機関の意識・組織改革

仕事で「病院」・・・とりわけ特定機能病院を訪問させていただく事が続いており、

自ら出会う事ができないくらいの職位の方からの声で感じたこと。

仕事柄、本筋の目的ではない事が話題になることも多いわけですが、そこには先生たちが今置かれている現状であったり、本質的な悩みや課題が見え隠れします。

 

●「働き方改革」待ったなし 悩みながら実践している

とりわけ、「命」という切っても切れない24時間365日体制とのジレンマ。

ミッションを機能させるためには、人材配置と人材の適所配属など課題満載。

「医学部とは」「医師とは」

を考え、そこに求められる資源と人材と教育と、機能を回すシステムの変換など

様々考える時期かもしれない。

 

●「女性医師」の支援

こちらは、ようやく、なのかもしれないけれど、どこの医療機関も対策室や相談対応など多くの活動が。

学会でも、特定機能病院でも女医先生の就労支援を考える相談室、講演、活動がみられるようになった。

病院によっては、時短として外来を数日だけ任せるという方法も導入するしないの話があるそう。

(これは子育て世代では「細いが長く続ける」意味で非常に有意義と感じる)

 

ジェンダーを多様性とみられるかどうか

人の多様性を受け入れるというが、ジェンダーはそもそも、身体的特性が異なるので

同じというのではなく、違う事を前提に、違いの中での適正や適所を考えていく必要があるだろうと私は思う。

私が20代のころに、女医さんの多い学会と、なぜか男性医師ばかりの学会があり、

診療科によって「働きやすい診療科」そうでない診療科があることは診療科の色としても感じとることができた。

私が最初に驚いたのは「神経内科」。

多くの女医さんの活躍に私たちも励まされた。

 

しかし、そこでも燃え尽きている女医さんたちが多いことが今年の学会で討議されていたらしい。

24時間365日は当然な医療提供とワークライフバランス

今までの「善意」で持ちこたえていたものも、本当に望む姿へ向けて改革が必要なのだと思う。

女性とかどうとか、ではない、医療機関の労働環境。

そもそも、「女性」と分けて議論しているところにも問題がありますね。

医療機関の労働環境の改善は、女性に限ったことではなく、全体の課題としてまず変化を起こす必要がありそうです。

 

⇒最近のニュースより

最近大学入試で同じ枠から女性だけ減点して男女比を調整している医科大学があることが問題となっていました。入り口を分ければいいと思います。

歴史的に男女別の学校が統合した私の大学では、「女子定員」「男子定員」が分けられています。その議論こそ問題だ!という人はいるかもしれませんが、他の大学のように分けずに試験をして女性ばかりが集まる、それも裏側で減点処理されているくらい求められるバランスが異なるのであれば、定員入り口を分けるのも手ではないかと思う。

しばらくはこの議論は話題になるだろうし、他の医学部でも「女性」の活躍を

「どうするか」と、取り組む背景には、バランスが壊れてきているからなのだとも容易に想像がつく。未来の医療を考える上では

「誰もが」働きやすい環境を作り出す思考を止めないことだと感じる。

 

●人生の最終段階の医療に向けて「直視」へ

命を救う ということと 人生最終段階にきたときに「救う」ことの意味を

考えねばならない。

その時に医師は、病院はどう、伝え話していくのか。

「良くないお知らせを話す」

「人生の最終段階の支援を考える対話」 

ここのコミュニケーションは本当に悩みどころのようだ。

 

「命を救う」 医局教室の廊下。あらゆる研究会のポスターが掲載されていて、

私は必ず壁面を伺うチャンスがあれば全部舐めるようにして見ています。

何が今テーマとなり、多くの講演がなされているのかを知るために。

どの専門領域であっても。

 

その1枚の中に

尊厳死について」の記事が貼りだされていました。

尊厳死協会のものだったと記憶しています。

先端の臨床現場でこのテーマが貼りだされていた事はいままでありませんでした。

また、「良くない知らせを伝えること」

をどう教えていけばいいのか、ということも先生の口から出てきました。

 

最先端の医療の力と 命の終わりを受け止める力

 

今日も私は物を書きながらそれを思うのでした。

(そこでモヤモヤしてないでちゃんと仕事運ばせろよな、自分)

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スズメさんが結構好き