医療・介護の鍵diary

健育社代表がガツガツほのぼの医療介護を語るページ

こんなに対面で医師と顔を付け合わせることはない…?オンラインは思うより悪くないのかも

先日の体験です。

 

ある勉強会に参加しました。

Zoomの画面にて、主催者の方と真正面に画面越しに1時間以上目を合わせていました。

 

もちろん相手の方は操作に注力していたり、

ファシリテーションで忙しくされているし、

多くのメンバーの中の一人の私にあえて顔を向けているわけではありません。

   

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こんな感じ

 

その方とは何回もお会いしているし、数人で集まり食事もご一緒させていただいたりしています。

 

しかし、この「真正面」の状態でずっと1時間対面していること自体、そもそも体験しませんよね。

親しい人との食事などでも、そう長い間近い距離で顔を「眺める」ことはないです。

 

思わず、画面越しに

ジーッツ

 と眺めてしまいました。

ちょっと細い目が画面操作で「クリクリ」と動くシーンはあまり見ないなー、とか

何かを恐らく読んでいるに違いないのですけど、画面では「凝視」されているように感じて、勝手に

ドギマギ してみたり。

 

これをオンライン診療や服薬指導のシーンに変えてみたらどうでしょうか。

先生方は、発信者なので、実はストレスなのですね。感覚で捉える場所が限られてしまうから。

 

でも、患者さんにしてみたら、

画面を見ているだけでも、思いっきり先生に「直視」していただいていることになるんですよね。

これは、いわゆる「傾聴」の第一歩。

 

 

実は、オンライン診療のインフラさえ整えば

(そこが課題なわけですが、そこさえ越えれば)

患者さんとなる人たちは、オンライン診療は一部の人たちにとっては大満足に

なるのではないか、と思うのです。

 

菅政権となり、次々とオンライン化の動きが出てきています。

何よりも変えがたい

「通信環境が整っている状態」

「仕組みの問題」

にも変化がいよいよ起きてきました。

 

待ったなし、な感じがヒシヒシと伝わってきます。

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実はこんなに長い時間、正面で話すことができるのはオンラインだからできるのでは?

 

COVID19で亡くなった人への尊厳 ご家族への尊厳

COVID−19で命を落とされた方とご家族には改めてご冥福をお祈り申し上げます。

 

病院から搬出され火葬するまでに、家族さえも会うことができない、故人への想いが突然に絶たれ、目の前に死亡診断書と遺骨という形で現れる。
この深い悲しみはどこに向ければいいのでしょう。

とにかく、悲しすぎる。とモヤモヤしつつも感染予防しかやれることはない自分。

 

そんな中、
COVID-19感染症でお亡くなりになった方の葬儀を都との契約で担い、一時お預かり先として手をあげた「想送庵カノン」。

 

知ったのはお盆の時、契約が解除となり、ホッと一息していたとき、
知人のお声掛けで念願かなって訪問させていただいたときでした。
経営者の方は、公私共に心から敬愛していた方です。

 

都内でお亡くなった方達がゆっくりと時間を過ごせるように生まれたお部屋の中で、

尊厳を守られながらお過ごしになられていたとは思いもよりませんでした。

それを聞いたとき、なんてことだ!と。

適切な方法であれば、お別れもできる

と、ご遺族が対面できない中、ビデオカメラを回し、スタッフさんがお花をたむけ、お別れをしているシーンを配信してくださっていたとのこと。

 

その場に足を運び、心のこもったシーンを想うと、どれほど故人もご遺族も救われたことでしょう。

ありがとうございます。
そして、そのお志に力強さの中の優しさを想い、
こんな方達と出会うことができて、心から癒されてしまったのでした。

 

ご遺族のためのご相談も受けていたりと
全てはご自身のご経験とグリーフケアの大切さをわかっているからこそできたこと。

この記事だけでは語れないご苦労のなかでの笑顔は、
本当に素敵でした。

 

news.yahoo.co.jp

台湾のACP(事前指示書?人生会議?)

久しぶりのブログです。

2020年から読売新聞社の医療系サイト「yomiDr./ヨミドクター」

では、人生会議のコラム対象者を長い間募集されていました。

そうこうしているうちにCOVID-19などから、

記事として進む様子はあまりなかったのですが、

最近、コラムがゆっくりと始まっていました。

 

今回、台湾の制度について掲載されていました。

 

私自身こうした仕組みが一番現実的だと思っていたのでご紹介します。

これは、日本で言う「公正証書遺言」と同じような仕組みを

遺言ー公証役場(法務関連専門家)ではなく医療機関で医療従事者と行うような感じでしょうか。

 

yomidr.yomiuri.co.jp

 

今、日本では医療行為に関する公正証書文書化はできますので文書として

法的に残すことはできるのですが、踏み込める内容になりうるものなのか、

基本的には医学的判断と伴って合意形成が必要なので、そもそもうまく機能できるのかどうかが問題だろうと感じていました。

 

実際私自身は公正証書を残した方を知っていますが、その後の実際の実行プロセスや医療サイドの受け入れについて、あるいは、その後のお話や事実を追跡したことはありません。そこについても常に運用はどうするのか、仮に証書を作ってもどう知らせ伝え、話し合いに使うのか、イメージがありません。

 

そこがつながらない限り、何を記したところでどうなんだろう。

と言う 思いを払拭できずに長年過ごしています。

 

台湾のこの制度は実際どう運用されているのか、

こうした記録において「緊急性の高い時」にどれほどこの指示書が

適応できるのか、どう意思決定を進めていくのかと言う点でどのように運用がとても重要だなと思う次第です。

 

実際のお話を聞いてみたいです。

・・・どうすればできるでしょうか。

 

在宅勤務が普通になれば

COVID19で事業や生活が厳しいかた、ようやく感染者数が減少に転じてきて

あと一踏ん張りかと思うと、気分が少しずつ晴れやかになってきますね。

 

とはいうものの、

すぐに元に戻れるという状況ではないのではないかとも考えています。

変わっていかなければならないこともあると思います。

 

その中で一番私が、前向きにこの変化で嬉しいと思ったことは、

 

多くの仕事が在宅勤務でできる と、皆がわかったこと。

 

それによって

介護をしながら働くということに対してハードルが低くなったこと。

 

どこでも働けるのであれば、介護していても、育児していても、

かかる時間の調整や業務の調整など条件を整えれば十分できますよね。

 

そんな中

www.bbc.com

さっそく、GAFAのうちの2社が在宅勤務を延長とのこと。

 

本当に移動して集まることが必要なのかどうか。

 

様々な手段がすでに生まれている中で、同じ空間にわざわざ満員電車に揺られて

出社する意味が問われた感じですね。

 

大昔は、仕事ばかりで「社会的入院」などという言葉があったんだよ

 

という事が話せる時代が来るんだろうな

と思っています。

 

社会的入院を事実上せざるを得なかった私としては、

社会が変わり、安心して家で過ごし、家で働き続けられる環境に

一歩進んでよかった

と思っています。

もちろん、まだまだこれからだと思いますが…。

 

 

 

 

 

本気の人生会議でCOVID19に向き合う 

東京都下や都市圏ではロックダウンに近づいている気配が感じられます。そして、医療介護従事者の現場の皆様、本当にありがとうございます。

 

エンディングノートを書いたり、セミナーに参加し真剣に自らの命の終い方を考えておられた皆様にお伝えしたいことがあります。

COVID19で命を終えるのは

逝く側も残される側も一番の悲しみを追う。

懸命に考えたエンディングノートの通りにはなりません。

叶うのは財産贈与くらい、他は悔いと悲しみを残すばかりです。

 

不要不急な用事以外は自宅で、手洗い・うがい・適度な運動と睡眠を心がけ、COVID19に感染しないよう、大切な人と一定の距離を開けて対話し笑顔で過ごしていただきたいと思います。

 

といいながら、最悪を一度は想定しましょう。COVID19に罹患してしまった場合、全く異なる思いや決断を迫られる事になりそうです。考えたくないと目を背けず、今こそ、「どうする」を話し合いましょう。

 

COVID19「罹患したら」のイメージ 志村けんさんのご逝去から 

COVID19に感染したら?最悪のパターンは命を落としてしまうこと。

まず、検査で陽性となったら…。指定機関病院へ移送され、そのまま帰ることができません。検査さえも覚悟の一つになるのかもしれません。

 

志村けんさんのご逝去のニュース。

国民全員がCOVID19への思いが変わる出来事だったかもしれません。それは、自分にもすぐに襲いかかってくる可能性のある事態です。

 

志村けんさんは

病院でお一人でお亡くなりになり…感染リスクがあるためそのまま火葬され、遺骨となってご遺族のもとに帰られました。

これは、思い通りの葬儀と同じでしょうか?

 

<COVID19で人工呼吸器をつけるという意味>

COVID19で重症化すると、人工呼吸器、そして、ECMOと呼ばれる体外人工心肺による呼吸管理となります。それは、もう自らの肺で呼吸できないほどの病状になったことを意味します。つまり、その状態は装置がないと死に直結します。

 

<COVID19は急性期疾患なので可能な限り救います>

エンディングノートで「人工呼吸器を装着はいらない」と書いている方。

COVID19で重症化した状態。初期は症状は重くないので意識もあります。感染症の専門医の先生の言葉によると数日間のうちにみるみる悪化してしまうという表現がありました。

入院から病院にて隔離された後、悪くなる方はみるみるうちに肺が侵され、普通に会話ができなくなり、呼吸ができない状態となる、人工呼吸器の装着、あるいはECMOを借りて呼吸をする事になるのです。

 

COVID19は、急性の感染症で緊急に救う必要性があるもの。救う努力を止めません。

医療従事者は「救う」ために、治療を行うでしょう。この時、家族には確認のお知らせが来るかもしれませんが、基本は救う医療を行います。苦しい時は苦しみをとります。ご本人とは、普通に会話や意思確認はこの状態の時はかなり難しい状態でしょう。重症では会話さえままならない、本人の意思は確認できない状況も想定されます。

それでも回復の見込みがなかったら…

大切な方たちに会うこともなくそのまま息を引き取り、遺骨となり家族と対面するなどということが現実に起きてしまう。それも数日の間に。

姿形を拝むことなく、遺骨として箱の中に収められた状態でのご帰宅。それを想像してください。自分も家族も無念の一言です。

 

医療崩壊は人工呼吸器の装着や取り外しの決断を迫られる

そして今、人工呼吸器やECMOの需給問題が出てきています。これらの装置は特別なもので数に限りがあります。治療者が供給できる量を超えた患者が来院すれば、必要な人へ機器の装着ができない自体が起こりえます。

人工呼吸器が不足してしまうと、新しく来院する方のために、治療中でも意思決定に基づく家族と話し合い、医学的な判断のなかで、人工呼吸器を取り外すという状態に対応する可能性がおこります。

あなたの大切な人、そして自分がこの状態になったらどうしますか?

ぜひ皆さんゆっくり時間があるのですから、今こそ、大事なことを話したり伝えたりして過ごす時間にしてください。

また、COVID19に罹患し軽症な場合、自宅待機になることも想定し、家族間でどのように対応するか、自宅療養の方法、連絡先の方法、ケアの方法を考えてみてください。

 

<医療資源を配分しなければならない事態も>
生命・医療倫理研究会という臨床倫理を学ぶ有志の先生方は、今後起こる可能性のある、「爆発的な感染により人工呼吸器などの装置不足により呼吸器の取り外しを余儀無くされる可能性」を想定し、医療従事者の行うべきプロセスの提言をサイトにて公表しています。

square.umin.ac.jp

COVID19の感染爆発時における人工呼吸器の配分を判断するプロセスについての提言
(あくまでも提言であり、行うべきプロセスを示しています)

有志研究会の先生方ですが、これらの先生方は、倫理的なジレンマに応じる医療従事者の決定において重要な要素を理解している方達です。

 

しかし、どうでしょう。

 

この意思決定の難しさ苦しさ。

 

それでも医療従事者は、この決断に向き合い、資源を有効に使うために、命の終わりに近いか否かを医学的に判断し、トリアージを行い、命を救える方に優先的に治療を行います。

 

それを支えるのはご本人の意思の強さ硬さ、受け取った人たちの意思の固さと支えあいです。想像がつかない苦渋の決断になることは間違いありません。

だからこそじっくり考え、生きるためにやれる事を今しっかりとやっていきたいですね。毎日を幸せでいい時間だったと思えるように。

 

そして、医療崩壊を起こさせない、こんな苦渋の決断を医療従事者、本人、家族が負わないようにと、心から願うばかりです。

 

 

 

 

 

 

暮らしに彩りを? コロナで家にいてゆるく鍛える

小中高の学校が休校になったことから

社会的な行動制限も含め本格化して2週間…。

 

仕事:

私はSOHOスタイルなので業務はどこでも問題なくできる状態になっています。既に自分のデスク周りはいつでも働ける感じになので問題なく過ごしています。

 

一番懸念したことは、運動量の減少。

1日8000歩は歩きたい(これもフレイル対策レベルなので決して運動をしているレベルではない)。そのためには工夫が必要です。

2020年は、スポーツクラブに通って自分に喝を入れ用としていた矢先でした。

今回スポーツクラブからの感染が次々報道され、

現実、子供たちは家に引き篭もった毎日を送っています。

私自身も8000歩の確保がむずかしい・・・。

どう言うわけか、苦痛もなくにこやかに健やかに。

 

この状況…。

これを逆手に取るには…。

と言うことで、スポーツクラブにいくことを諦めた私はこんなものを手に入れました。

 

これ。

 

結構思い切りました。

1年頑張れば、まあ、ジムの月額利用料よりは安いでしょう?

ちょうどやってきて1週間が経ちましたが、

テレビ時間としてニュースを見たりする時には必ずブルブルと揺らされています。

 

そして、毎日どこかしら筋肉痛 と言う毎日です。