あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
2018年はいくつか「人生最終段階の意思決定」に関わる領域に大変化が起きました。
1>アドバンス・ケア・プランニングの愛称「人生会議」が選ばれたこと。
また、11月30日を人生会議の日と定めたようです。
(理想的な設定は年末年始やお盆の期間だと思いますが。)
2>診療報酬への反映…
行政がここに踏み切ったことが私にとっては驚きでした。
1>が出てきた背景として、2018年4月以降の医療・介護の診療報酬改訂に「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」により、本人の意思決定や代理人を話し合うことが盛り込まれたことがあります。
詳細は神田裕二先生の書かれたブログを参考にしていただけると良いかと思います。
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2019年はこの話が次々話題になると思われます。
(本当は自分がどう伝えていくか塾考したかったのですが)
早速…いきなり文春オンラインにおいて、古市氏と落合氏の対談が掲載され、巷で話題になっているようです。
この内容に対し、医療ジャーナリストの市川氏が懸念を投じています。
「少子高齢化」という複合的な課題
この問題は、非常に複合的なものです。そもそもの前提が「少子高齢化問題」を先延ばしにした平成時代の罪だと思います。高齢化だけではなく、少子化をセットで行うこと。それをせずに過ごした30年。実は…もう、あちこちで待った無しです。2006年から消費生活アドバイザーとしての活動で頑張ってきました。その立場から、医療従事者の皆さんに投じてきた研修など諸々やってきましたが…。力及ばず。
これが一度に動き出す気配のある2019年。世論が高まることはライフワークとして行ってきた身としては御の字です。
●社会保障内容と費用全般
医療費については、市川氏のおっしゃる通りで終末期の医療費に着目しただけで医療費問題は解決つきません。
使い方、使われ方を全般的に見てバランスを取る必要があります。バランスを取れるのは行政しかできないと思います。なぜならそこで報酬を得て生きている人たちのパワーバランスが出てくるからです。
(むしろ、利益ではなく、自分の未来の日本を真に考えてくれる高校生たちに議論してもらったほうがいいのではないかと思うほど。)
色々点で話したいことはありますが…。別機会にして。
ここで一番考えることは「人生の最期にどうありたいか」を考える・意思を伝える・語る文化を作り上げておくことではないかということです。質の問題。
人生最終段階の医療やケアは質・価値観の問題
質問題とする場合、今、死を自宅で迎えられる方はまだ全体の少数派です。
家族が受け入れられるだけの力を持てない状態・不安な心を支えきれない。
実は自宅で亡くなりたい人の方が多い(アンケートでは6割程度が自宅を希望)のに。
死が身近でない社会。自分事として考えられなくなってしまった日本の状態。
どう生ききるのか、自分でHappyな終わり方って何だろう。
映画のエンドロールが流れる間に
送った人が「よかった」と言うのか「これでいいの?」とモヤモヤするのか。
というような質の問題です。
そもそも、皆、人は死にたくない。怖い。
だからこの話題から気持ちを背くこととなります。
そして、
「自分が老い、できなくなるという状態、輝いていた時代と異なり、自律を失う自分を想像することさえ受け入れ難い」
ことが裏側の心理としてあります。
この時の質を高くするには、
● 精神的にも社会的にも満たされること
● 自分の尊厳を保てること
そして、この2つは、個々それぞれが何を求めるのかを示さない限り、そのようになりにくいこと
⇨だから、大切な人に、書いて、伝えておく
=人生会議
ということなのでしょう。
「あなたにとって、尊厳って何ですか」
「あなたにとって精神的にも社会的にも満たされた状態は何ですか」
これ、医療じゃないでしょう。
(とはいえ、モヤモヤするのです。)
生き方、逝き方、日本を全員で考える1年になりそうです。
私は樹木希林さんのようになりたいですが、まだまだジタバタするのでしょう。
やはり怖いから。だから、安心して語れる医療従事者、介護従事者を見つけたいのです。
だるま落としはお得意です